癌で闘病中だった小林麻央さんが亡くなった。
就職活動の就活に対して、死ぬ準備をするという終活は、どうしても後ろ向きに考えがちなのだけど・・・
「まお、あいたいよ・・・」
海老蔵さんの悲痛な叫び。
【#海老蔵】「まお、…あいたい、あいたいよ」 #小林麻央 さん追悼番組受け心境https://t.co/huKOgFigxv
— ハフポスト日本版 (@HuffPostJapan) 2017年6月27日
家族を亡くすということは当然に悲しみを伴うものではあるが、真央さんのブログを機に少し終活というものの考えを書いてみたいと思う。
家族との別れは辛く寂しい
子供との別れ
私は7年前に子供を突然亡くした。
その時には、同じことを口にしていた。
どこかへ行けば会えるかも、何かしたら生き返るかも。
夢で会えて、「あ、こんなとこにいたのか」と目が覚めた時に、夢と現実のはざまで寝ぼけていても、灰になった骨を骨壷に納めた自分に気が付いて、存在自体が無くなってしまったことへの絶望。
ありえないことへの儚い希望。
だからこそ彼の思いはよくわかるつもりだ。
きっとこれから子供の卒園や入学、いろんな行事のたびに季節が変わるたび辛さは続く。
自分もそうだったから。
周りからは「お前は一家の主だから、お前がしっかりしないと・・・」きっと叱咤激励のつもりだろうけど、実はとっても残酷な言葉だった。
あれから7年という月日が流れ、イクであちこち出掛ける自分もいながら、今でもたまに夢に出てくる子供。
今でも泣きながら目が覚めることがある。
ガンの余命宣告
自分の父親はガンが原因で亡くなった。
特に具体的な余命宣告をされてたわけではないけども、やっぱり悲しかった。
高校卒業と同時に進学して家を出た。
離れている分、少しでも時間が出来たら帰省しては酒を飲んでた。
酒を飲み交わしながら、仕事の話とか、家族のことなんかをいっぱい話した。
昔、父親と泊まりがけで出掛ける予定を仕事の都合でドタキャンされて悲しかったこととかも話した。
飲み終わる頃にいつも
「よく酒を飲む親父だったなぁ、と思ってくれれば結構。思い残すことないぐらい飲んだし、仕事もした。」
と言っていた。
亡くなった時はやっぱり寂しかったけど、いつかこんな時が来るって分かってたから、どこか割りきらないとって思えた。
いつからどのようにはじめるか「終活」
広島の災害があってから、改めて考えるようになった「終活(しゅうかつ)」
人間、若いから大丈夫ではなく、死に行くのは生まれた順番ではないのが世の常だ。
だれであっても、自分より若い人が亡くなったり、親より若く亡くなったと言う人を知っているはず。
バイクで一度事故をすると、最悪命を落とす事って不思議じゃないから、この歳でバイク乗ってると「よく奥さん何も言いませんね」って言われる。
≫バイクは辞めろと言われた話
でも、自分の場合コロッと死んでも、自宅のローンは無くなるし、収入保障の保険金が下りるし、遺族年金や母子家庭の手当てがもらえるわけなので、とりあえず妻や子どもの住むところと食べる手段は残しているつもりだ。
いろんなケースがあるとはいえ、そういったことをふまえてどのように終活を考えたらいいのだろうか。
生前葬
建設機械の大手「コマツ」の元社長の安崎暁さんは生前、自分がお世話になった方々に集まってもらい、生前葬として感謝の会というものを開催していたようです。≫「まねできない終活」コマツ元社長が笑顔で生前葬
安崎さんの死因はガンだったようですが、私の父もガンで亡くなった。
抗がん剤治療や手術などの治療を受け、最後は緩和病棟に入りモルヒネなどで意識がはっきりしなかった覚えがある。
だからこそ、まだ元気で生きているうちに、知った人にお礼を伝えたり、子供たちへ財産分与の話をしたり、ふるさとを訪れたりといった機会を得るのは大事なんじゃないかなって思う。
余命宣告のトラブル
一方で、余命宣告することでこういったトラブルも起きている。
笠井さんは「医師から『次の誕生日は120パーセント迎えられない』と説明を受けた」と言う。取引先にあいさつして回り、経営する設計企画事務所を閉じた。財産は売却したり、子どもに譲ったりしたほか、親族には別れの手紙を書いた。ホスピスにも一時入所した。
診断から5年。体に痛みがあり通院しているものの、「死」が訪れる気配は感じていない。抗がん剤治療の影響で歩行が難しくなり、車の運転もできなくなった。生きていることは喜ばしいことだが、「ATLというのは誤診だったのでは。納得できない」と憤る。
引用:Yahooニュース(リンク切れ)
余命が1年と宣告され、そこから5年も生存しているという患者さんの例。
余命を宣告され、仕事を辞め、財産分与を済ませてしまうと、自分が生きるためのお金というものに困るわけだ。
上で紹介した安崎のように、古い友人知人に会って挨拶はしたものの「あの人まだ元気そうね」なんて言われたらたまらない。
現実的なのはエンディングノート
そう考えると現実的なのは文具屋などで売られているエンディングノートというものだろうか。
≫ コクヨ エンディングノート もしもの時に役立つノート B5 LES-E101
隠された預貯金・資産
ネットバンクやネット証券などが増えた現代において、家族の知らない資産をお持ちの方も結構いらっしゃるはずだ。
そのためにも口座名やパスワードやログインIDなどを残しておくと、残された家族がそれを元に預貯金の解約ができる。
財産分与・遺言
生前に財産分与した方がトラブルは少ないだろうが、財産分与というものも記入できるようになっている。
ただ、法的な効力はないらしいのでその点は注意が必要。
終活にブログ
少し話がそれた。
元に戻って小林真央さんの話。
彼女が最後にブログを書いていたのはご存知の方も多いはず。
ネットでは「治療費を稼ぐため」「同情を買うため」といった言葉も多々あったようだ。
ただ、ブログというものを通して、自分が一生懸命生きたという記録を残すというのは結構ありだと思う。
もちろん、削られる命のブログを読むことに嫌悪感を持つ人もいるだろうが、嫌な人は読まなければいいわけだし。
私は一時期、亡くなった子供のことをブログを書いていた。
私にとって子供のことが記憶から薄れていくのが辛かったので、息子との思い出を残すため、そしてこの世に自分の息子が生を受けて存在したということを残したいという思いがあった。
まとめ
皆に祝福されてこの世に「生」を受けるわけなので、恩をいただいた人に感謝して旅立つというのが理想だと思う。
ただ出産のときと違い、死ぬときというのは予定がわからないから、いざというときのためにこういった準備をしておけるというのも良いのではないだろうか。
そして同様に、いつ死が訪れても良いように、エンディングノートなどを使って普段言えないことなどを残しておくのもいいと思う。
あの日亡くなったのは真央さんだけでなく、もっと若くしてなくなった人もいっぱいいるはずである。
それだけに、今、生きていることを当たり前と思わず「感謝する」ということを日ごろから心がけたい。
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