終活の必要性ついて、経験をふまえて考えてみる

エンディングノート 日々の雑感

癌で闘病中だった小林麻央さんが亡くなった。

就職活動の就活に対して、死ぬ準備をするという終活は、どうしても後ろ向きに考えがちなのだけど・・・

「まお、あいたいよ・・・」

海老蔵さんの悲痛な叫び。

家族を亡くすということは当然に悲しみを伴うものではあるが、真央さんのブログを機に少し終活というものの考えを書いてみたいと思う。

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子供との別れ

私は7年前に子供を突然亡くした。

その時には、同じことを口にしていた。

どこかへ行けば会えるかも、何かしたら生き返るかも。

夢で会えて、「あ、こんなとこにいたのか」と目が覚めた時に、夢と現実のはざまで寝ぼけていても、灰になった骨を骨壷に納めた自分に気が付いて、存在自体が無くなってしまったことへの絶望。

ありえないことへの儚い希望。

だからこそ彼の思いはよくわかるつもりだ。

きっとこれから子供の卒園や入学、いろんな行事のたびに季節が変わるたび辛さは続く。

自分もそうだったから。

周りからは「お前は一家の主だから、お前がしっかりしないと・・・」きっと叱咤激励のつもりだろうけど、実はとっても残酷な言葉だった。

あれから7年という月日が流れ、イクであちこち出掛ける自分もいながら、今でもたまに夢に出てくる子供。

今でも泣きながら目が覚めることがある。

人生の終活

ガンの余命宣告

自分の父親はガンが原因で亡くなった。

特に具体的な余命宣告をされてたわけではないけども、やっぱり悲しかった。

高校卒業と同時に進学して家を出た。

離れている分、少しでも時間が出来たら帰省しては酒を飲んでた。

酒を飲み交わしながら、仕事の話とか、家族のことなんかをいっぱい話した。

昔、父親と泊まりがけで出掛ける予定を仕事の都合でドタキャンされて悲しかったこととかも話した。

飲み終わる頃にいつも

「よく酒を飲む親父だったなぁ、と思ってくれれば結構。思い残すことないぐらい飲んだし、仕事もした。」

と言っていた。

亡くなった時はやっぱり寂しかったけど、いつかこんな時が来るって分かってたから、どこか割りきらないとって思えた。

終活にブログ

少し話がそれた。

元に戻って小林真央さんの話。

彼女が最後にブログを書いていたのはご存知の方も多いはず。

ネットでは「治療費を稼ぐため」「同情を買うため」といった言葉も多々あったようだ。

ただ、ブログというものを通して、自分が一生懸命生きたという記録を残すというのは結構ありだと思う。

もちろん、削られる命のブログを読むことに嫌悪感を持つ人もいるだろうが、嫌な人は読まなければいいわけだし。

私は一時期、亡くなった子供のことをブログを書いていた。

私にとって子供のことが記憶から薄れていくのが辛かったので、息子との思い出を残すため、そしてこの世に自分の息子が生を受けて存在したということを残したいという思いがあった。

まとめ

あの日亡くなったのは真央さんだけでなく、もっと若くしてなくなった人もいっぱいいるはずである。

それだけに、今、生きていることを当たり前と思わず「感謝る」ということを日ごろから心がけたい。

そして同様に、いつ死が訪れても良いように、エンディングノートなどを使って普段言えないことなどを残しておくのもいいと思う。

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