全国的にすっかり梅雨空になってしまいました。
昨年は4月5月でちょこちょこツーリングに出たのですけど、今年は全くエンジンを掛けていないので先週は久しぶりにバイクのエンジンを掛けてみました。
相変わらず始動性が悪い・・・
以前はワコーズのフューエルワンを入れていたのですが、今回はコスト的なことや始動性の比較も考えピットワークのF-ZEROを入れてみました。
OEMの商品なのですが、放置したエンジンの始動性という点で判断すると全く同一のものとは思えず、やはり本家のワコーズの商品のほうが優れているような気はします。
ただフューエルワンは200ml、FーZEROが300mlで1本あたりの値段がさほど変わらないと言われるとやはり後者の方が値段的に魅力なわけで・・・
そこへやってきたのは小3になる娘。
お父さん、乗せて~
うちの子はみんなバイクが好きだったんですけど、とくにこの子は昔からバイクに乗るのが好きだったみたいで、以前はFORZAで近くをよくタンデムしていました。
そのFORZAもエンジンが掛からなくなり、久しぶりにXJR1200で家の周りをまわってきたのですが、ふと自分も父親の後ろに乗せてもらうのが好きだったなと思い出しました。
父親とのバイクの思い出
当時、実家には父の趣味でナンバーがついてたかどうかは覚えがないんだけど、家にはメグロとベンリー、カブの3台がありました。
子どもながらに
大きいバイク(メグロ)はかっこいい!!
という感情を持っていた気がします。
タンデムで近所の田んぼ道を走った記憶
まだ幼稚園児くらいだったとおもうのですけど、暖かくなると近所の農道で咲く花を見に行ったり、水路の魚なんかを見に連れて行ってくれました。
もちろん運転する親父の前の風景は見えるわけないんだけど、父にしがみついて流れる景色を見ているのは好きだった覚えがあります。
ほかにもその季節の花の色、におい、音というのは今でも思い出せそうな気がします。
錆びたから鉄の湯たんぽをガソリンタンクの代わりに
もう一つ思い出深いのが、ベンリーだったかカブだったかは覚えていないんですけど、ガソリンタンクの中が錆びたため、後部座席に鉄の湯たんぽをつけて、そこからキャブにガソリン送ってました。
「え?そんなのいいの??」っていう声も聞こえそうですけど、ホンダの創業者本田宗一郎氏も湯たんぽをガソリンタンクに流用してたという話もあるほど、当時は有名な方法だったのかもしれません。
さすがに今だったら色々問題ありそうですけど、40年近く前のことですからおおらかだったのかもしれません。
あとお尻が痛いだろうからと座布団の上に座っていたような気もします。
ある日メグロがドナドナした
あれは私が小学校3年生とか4年生とかくらいだったでしょうか、ある日突然メグロが自宅の車庫からなくなりました。
私は父がメグロに乗っている記憶はないですが、普段から「このバイクは価値が出る」「貴重なバイクだ」と言っていたので自分の意志で売ったとは思えません。
ただ売ってほしいという問い合わせはあったと耳にした記憶がありますから、「どうせ乗らないのであれば」ということでそういう話があったのかもしれません。
でも、ことあるごとに父は「売られた」「売られた」って言ってたんですよね。
そうかといって母も無理矢理売らせるような母でもないので、
大事に乗ってくれる人のところへ行った方がいいんじゃないかねぇ?
なんて体のいいことを言って「売らされた」というのが正解かもしれません。
追記 最近知ったのですが、メグロは見ず知らずの人に無償で譲ったというのが正解だったようです。
バイクという非日常が子どもの思い出には残った気がする
たぶん多くの人がそうなのではないかと思うのですが、子どものころの記憶というのは普段の日常生活の記憶より、どこかへ行ったというような非日常の記憶の方が鮮明に残っているように感じます。
私にとってみると、父のバイクと過ごした記憶というのが思い出で強く残っているのかもしれません。
わずかな時間ではありますが、バイクと触れあった思い出が娘たちにも残ってくれますように。
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