人生初のソロロングツーリング、4日目の朝。空模様は予報どおりどんより。旭川から来ていたハーレー氏もテントの中でゴソゴソしている音が聞こえた。
けれど気分は高揚していた。今日は“日本本土最南端・佐多岬”へ向かうという、旅のメインイベントが控えている。朝も早いので、まだ寝ている他のキャンパーに配慮してキャンプ道具一式はテントと一緒に野営場にそのまま残していた。

身軽にしてバイクで往復し、帰ってきてから撤収して再出発する算段だった。
佐多岬、一番乗り
佐多岬のゲートには開門前に到着。昨日のうちに無理して来ていても入れなかったことを知って、少し得した気分になる。観光客の車が増え始める頃、いち早く森を抜けて岬に立つ。

最南端の記念碑。カメラのシャッターを切る。
「あぁ、ついに来たんだな」
心の中で何度もそう呟いた。

引き返す途中、多くのライダーたちとすれ違った。どこへ向かうのか、どんな思いで走っているのか。すれ違いざまの挨拶に、妙な一体感を感じる。
駐車場へ戻ると、隣に止まっていたのは名古屋ナンバーのCB750F。空冷4発の佇まいに、同じ空冷乗りとして深く印象に残った。
野営場へ戻り、無事にテントを撤収。そのままこの日の目的地、長崎・雲仙を目指して走り出す。
桜島をかすめて、島原へ

佐多岬から戻り、野営場の前を通過して次の目的地、雲仙・諫早方面へ。途中、桜島に向かう交差点で一瞬迷う。実はこのときまで桜島が陸続きだと知らなかった。
次に九州南部を回る機会があれば、指宿や開聞岳にも行ってみたい…が、たぶん現実的には難しいかも、とちょっとだけ弱気になる。
霧島・えびの高原・熊本城など、行きたかった場所はあったが、体力と時間の兼ね合いで断念。


高速を使って一気に熊本港へ。滑り込みで島原行きのフェリーに乗船。
雨の気配と決断
フェリーの中で、隣り合わせたライダーがふと耳打ちしてきた。
「今夜、結構降るらしいよ」
その一言で、頭の中が一気にフル回転する。
そんな雨の中テントを張って夜を越すのはリスクが高すぎる。地図を見ても、雲仙周辺にはキャンプ場らしきものも見当たらない。疲れは溜まり、装備は不十分。
そうかといって温泉旅館なんて部屋が開いてないだろうし、なにより当時はクレジットカードも持っていない、旅先でお金をおろす手段も持ってなかった。ただ通り過ぎるように温泉街を駆け抜けた。
もう、決めた。雲仙を抜けたら、そのまま一気に広島へ帰ろう。
この時、ふと停まって撮った一枚の写真がある。
「雲仙 UNZEN」 の石碑と、荷物を積んだXJR1200。

雨が降る前最後になるかもと旅の記念にシャッターを切っただけ。当時はそれ以上の特別な意味や感情なんてなかった。
だけど――この場所に、僕は13年後、まったくの偶然で再び立つことになる。
あの日と同じように、ツーリングの途中で。
そして再訪したとき、ふと目に入った石碑に足が止まる。
「……あれ?これ、まさか……」
そう、まさにこの場所だった。
13年前、雨を避けて駆け抜けた“ただの通過点”。
けれど時間を経て再び訪れたその瞬間、あの旅の記憶が鮮やかに蘇る。
旅には、あとから気づく意味がある。

午後3時すぎ。諫早付近から高速に乗り、途中、ハウステンボスの看板を横目に長崎を後にした。
雨の九州道と奇跡の再会
日没と同時に福岡入り、そして予報どおりの本降り。最後のSA「めかり」で体を休めていると、なんとそこには佐多岬で見かけたCB750Fの姿が。ナンバーを見て確信。声をかけると、やはりあのときのライダーだった。
「どこまで帰るの?」
「愛知まで」
その言葉に迷いなく、「うちに泊まっていきなよ」と声をかけた。お互い名古屋出身ということもあり、彼も了承。
雨夜の共走と、語らいの夜
山陰のXJR1200ライダーとも合流し、3台で雨の高速を安全第一で走る。視界は悪く、寒さも厳しい中、分岐で手を振って別れる光景がやけに印象に残っている。
自宅に戻り、CB750Fライダーと地図を広げてお互いのルートを語り合った。僕が辿った道、彼が走ってきた道、そして大学生の友人が立てた計画。

思いがけない出会いと再会、判断の連続、そして旅の終わりに咲いた会話の花。こうして僕の九州ツーリングは、濡れたジャケットと熱い思い出とともに、幕を下ろした。
