北海道のエサヌカで撮った写真を加工して貰って暑中見舞いのはがきを送りました。
≫ 雨に耐えたツーリングが憧れの猿払エサヌカ線で報われました
送った連中は大学時代、同じジャンバーを着て走りまわった友人たちです。
ツーリング仲間で作ったオリジナルジャンパー
その当時作ったオリジナルジャンパーは身バレにつながるのでお見せすることはできませんが、大学自体にバイク仲間でオリジナルジャンパーを作成しました。
最近でこそ、ネットで注文して簡単に、安く、早く出来るのでしょうが、その当時はそういう訳にも行かず、お店を探すところから始まりました。
図案でデザインを作ってもらい、ジャンパーの袖口やポケット、ポケットのチャックに至るまで細かく打ち合わせを重ね見積りしてもらいました。
すでに四半世紀前のことですので、詳しい金額は覚えてませんけど1万8000円くらいしたように記憶してます。
バイクを降りてもやっぱりバイクは好き
その暑中見舞いに使った写真は上の写真に、その時作ったジャンバーを荷物に掛けて撮ったものでしたので、「懐かしいなぁ・・・」ってしみじみ言ってました。
みんな「いつかは北海道を走ってみたい」なんて、あてもない夢を口にしていました。
彼も当時ゼファーをZⅡ仕様にカスタムして乗ってたんですけど、あっという間に盗難に遭い、その後ドリフトの世界へ入って行きました。
そんなあいつも今では家業を引き継ぎ、従業員をたくさん抱える社長さんなんで「単車も車も乗ってね~」ってしみじみ言ってました。
https://bikelife.work/rider-reason-why/
B’zのpleasureを思い出した
pleasureの歌い出しは、♪一晩中ギターと女の話で盛り上がってた あいつも・・・♪って歌詞なんですけど、まさに3カ月くらい寝ても起きても単車・ギター・・・(当時はあんまり女の話はなかったかな??)だけで盛り上がってたんですよね、う~ん、不健全・・・w
実はこちらにも書いたんですけど、こいつが単車の世界に引き込んでくれたやつなんですよね。
会社の社長さんになった友人、一社員として働く自分。
時間の流れに少し戸惑いを感じるのは確かですね。
まとめ
あれだけバイク愛を語っていた奴だって、バイクの盗難をきっかけにバイク熱は冷めていったようですし、人生何がきっかけでどう変わるか分かりません。
以前こちらの記事でご紹介した馬場俊英さんの「人生という名の列車」も人生感じた歌なんですが、いろんな道を選び走り続ける列車のように、自分も今の線路を走り続けたいと思います。
コメント