手記の続きです。
当時自分で書いた手記のまま書き起こししています。
中には思い出せないような出来事もありますけど、だいたい思い出せるものですね。
こちらは二日目
宿毛のビジネスホテルを出発
今日が最終日。
この日の朝の事は結構よく覚えてます。
夕べはとてもよく寝た。
バイキングで食事をとって、外へ出ると結構寒くて朝日に向かって走り、ガソリンスタンドを探した覚えがあります。
6時半には起床、7時に朝食、8時に出発、順調に走り出す。
国道56号線から県道50号線、とっても寒い。日陰はなおさらだ。
国道441号線の入り口で迷う。
ダンプの運ちゃんにでも聞こうかと思い、引き返すともういない。
迷ったと思った道は国道441号線であってたけど、これって国道なわけ?
めちゃめちゃ狭いし、どっかの町道、村道の方がよっぱどマシなんじゃないか??(細いし、路面も荒れてて結構疲れた覚えがあるな)
多分、このあたりが国道という名の酷道だったように思います。
清流 四万十川に掛かる沈下橋を眺めながら
でも、四万十川のほとりを走るのは気持ちいい。
そういえば沈下橋は?とふと脇道を降りると、そこには待ちに待った沈下橋。
なんか感動無いな、もういいやと再び441号線を走ると「岩間の沈下橋」の標識。
川のほうを見るとイメージどおりの沈下橋。
ヘルメットの中で「お~~~~~~」と叫びながら沈下橋を渡る。
何本か渡ったのでどれがどれか忘れてしまいましたが、橋脚の形からしてこの写真は岩間の沈下橋ではなく、別の沈下橋と思われます。

四万十川には何本も沈下橋が掛かってますが、いざ渡ろうと思うと欄干がないせいで結構怖いです。
写真を撮って次っ(もう少しあたたかければ長居しただろうなって思う)
国道381号線当たりに星羅四万十ってのがありました。
再び441号線→国道320号線順調に飛ばす。
県道57号線は441号線とは比べ物にならないほど道がいい。
県道31号線の峠道は狭いけど、低速コーナーで気持ちいい。
県道29号線を飛ばす。(う~ん、飛ばしてばっかww)
再び国道56号線、道が混んできた。
そういえばこんなに車見たのって今日はじめて。
さっさと県道25号線に逃げたが、地図と違うぞ?
不安になりながらもまだまだ午前中だ、大丈夫と言い聞かせる。
次第に八幡浜市に。
よかった、あってた。
保内町を抜け国道197号線をひた走る。
メロディーライン
そこに見えるは「佐田岬メロディーライン」
すっごい気持ちいい、両手に花っていうか海。
「道の駅伊方きらら館」で一休み。
久しぶりに海の向こうに陸を見た気がした。

さあ、目指すは佐田岬灯台。
途中県道256号線にはいると途端に道が狭い。
車じゃこの狭さと峠道は苦労するね。
さて駐車場(PM0:00って書いてある)
ここから歩いて20分と書いてあるが、15分ほどで到着。
松山市内へ戻る
佐田岬から疲れ果てて一路松山へ。
途中保内から海沿いの道に変更してそのまま国道197号線を走りつつ、めちゃめちゃ混んでる大洲市内で最後の給油。
実は両親の出身地が愛媛ということもあって、まったく土地勘がないわけでもないんです。
あまりの混み具合にそのまま高速に乗り一気に松山市内へ。
松山へよった目的は、松山駅前で学生時代の友人と会う約束をしてたんです。
学生時代は同じ93年式のXJR400の赤と黒を乗ってた仲で、その後ゼファー1100を乗ってたんですが、そういえばそれ以降はご無沙汰。
今はどうしたんだろう。
そんなこんなで彼も仕事中抜け出して会いに来てくれたため、早々にお別れしフェリーで帰宅の途へ。
フェリーにて自宅まで
堀江港からフェリーで阿賀港へ。(今は廃止されています)
阿賀着が18時20分ごろだったが、スモークシールドが災いして開けたまま走ったので目がシパシパした。
フェリーから見た夕日、当時は新婚だったころの妻の声。
いろんな思い出の中、四国ツーリングは幕を閉じました。
最終日の走行距離 374km
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