バイクの免許を取得して早25年が過ぎ、30年が近くなってきてます。
あの頃は何も考えずに、街中や山間部を走り回ってました。
でも最近気になる運転の車もかなり増えてきて、そのたびに「よく今の自分が生きてるな」と思うことが増えてきました。
もちろん当時の自分も人のことは言えないわけですけど、事故をしないから運転が上手というわけではなく、未熟な自分の運転をまわりの車がフォローして事故を避けてくれたという考えも出来ます。
気になる運転の車というのはこちらの「路上には危ない車がいっぱいで、最近バイクに乗るのが怖い」という記事でも紹介していますけど、あえて自分から危険要素を作ってるんじゃないかという車が増えたように思うのです。
今考えると危ないバイクの運転してたなと思う行動
車の横をすり抜ける
法的にいい悪いはここでは別問題として、渋滞の時に車の横をすり抜けることができるのはバイクの特権の一つですが、最近はこういう車の横をすり抜けるのは危なかったなぁと思います。
一つにはノールックノーウインカーで左折していく車もありますし、交差点進入時には右直事故につながりかねません。
特に最近は背の高いミニバンタイプの車も増えたことから、サンキュー事故の犠牲にもなりかねません。
ほかにも最近のあおり運転などのニュースをみると、すり抜けしてきているのが分かっていながら、わざと幅寄せするような車もいないとも限りません。
以前バイク雑誌に「黒塗りの車が突然ドアを開け、進路をふさがれたうえで因縁をつけられた」というような投稿がありました。
そういう車に出会わなかったのはラッキーだっただけかもしれません。
スピードの出し過ぎ
自分の場合にはこれが第1位。
私の自宅は、比較的大きな県道から一本入ったところにありますが、夜中でもバイクがスピードを出して駆け抜けていく音が聞こえます。
この手のバイクはうるさくてもすぐに通り過ぎてくれるのでいいのですが、そのスピードが怖いです。
一つには自分がその県道に出ようとしたとき、バイクのスピードの読みを間違えれば事故になる可能性がありますし、子供たちが道路を渡ろうとしたときに被害にあう可能性もあります。
普段の車の流れより大きくスピードを超過した車は、第三者がスピードを読み違え事故につながるケースも多いと思うんですよね。
運転の経験が未熟で「かもしれない運転」が出来ていなかった
スピードの出し過ぎの原因の一つには、この「かもしれない運転の欠如」というものがあったのかもしれません。
いや、もちろん「かもしれない運転」はしてました。
ただ40代半ばを過ぎはじめ、事故の目撃や聞いた話、自分の事故の経験や事故になりかけたヒヤリハットを経験して思うのは、運転に対しての経験が未熟だったなと思うことも多々あります。
そう考えると、「かもしれない運転をしてたつもり」なんだろうな。
こんなことを言うと「じゃあ10代20代は運転経験が短いから危ないのか?」というとそうではありませんが、少なからず危険回避に対するデータの蓄積という点では危ない運転になりがちかもしれません。
身体的な衰えを自覚しつつ事故防衛に努めたい
身体的能力の低下は気になる
某保険会社で「事故率の少ない40代50代の保険料を割安に」というCMもテレビで放送されています。
実際に同じ条件の元過去の自分と運転させてみると安全側で運転できる自信はあります。
が・・・
残念ながら感じるのは身体能力の衰え。
パソコンやスマホで酷使している私たち世代の目は想像以上に衰えています。
同時に動体視力。
そう考えると、若いころと今の事故リスクはイーブンかも。
安全運転のデータを過信せず事故防止を
たぶん今の私が事故をすれば、回復するまでの時間は20代とは比べものにならないほどの時間が掛かるでしょう。
この先もっと年老いたとき、40代のころは無茶な運転してたなぁなんて思うようなことがないよう、いろんな過去のヒヤリハットや経験をもとに事故防止に心掛け、これからのバイクライフも楽しみたいと思います。
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