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XJR1200を失う時がバイクを降りるとき

下蒲刈島から蒲刈大橋 バイクライフ
バイクライフ

先日妻と話していて「今のバイクが壊れたらどうするの?」と聞かれました。

いや、どうするかなぁとは思ったものの、自分としては「もうおしまいかな」という答え。

もちろん乗り換えとかっていう選択肢がないわけではないんだけど、バイク屋で一目ぼれして手に入れたXJR400に乗ってた時代、雑誌「オートバイ」で衝撃の見出しで紹介された「YAMAHAの旗艦XJR1200誕生」の文字。

当時としては新鮮だったシルバーのバイクで、見た瞬間に欲しいと思った覚えがあります。

そのころはまだ大型二輪の限定解除なんてものは夢のまた夢のような難関試験で、とても自分が手にできるようなバイクとは思いませんでしたので、憧れだけが募りました。

そんなXJR1200というのは私にとって憧れの象徴でした。

そして初代XJR1200登場から7年後、自分の愛車となり気づけば20年以上。

ご自分の愛車に愛着のない方なんていらっしゃらないと思いますけど、そんな愛着のあるバイクをこれだけ乗ってきたからこそ、このバイクを不本意に失う時というのは恐らく自分がバイクを降りる時ではないかなと考えはじめてます。

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バイクに乗ってて怖いと思うことが増えた

バイクは楽しい乗り物です。

一度や二度くらいは誰しもあの魔性の乗り物に興味を持つ時期があるとは思いますが、実際またがって乗れる人、ここまで乗り続けて来られた人というのはごく一部の環境に恵まれた人ではないかと思うのです。

ただ、最近の車社会を取り巻く環境が恐ろしくてたまりません。

  • あおり運転
  • 高齢者による交通事故
  • 自分自身の判断力の低下
オートバイでの事故はライダーへの負担も大きい

通常走ってる限りではあおり運転の被害に遭うことはあまり多くないとは思いますけど、それでもバイクであおり運転を受けたときには車以上に命が掛かってます。

ほかにも高齢者による交通事故。

踏み間違いも多いですけど、逆走車の話とかも怖いですよね。

たまたまニュースになるのが高齢者のケースが多いのでやり玉に挙げられますけど、実際に痴呆症の方の事故もないわけではありません。

痴呆症の方の免許を取り上げろなんて声があるかもしれませんけど、免許返納したことや、自分が痴呆であることすら認識できてないんですから無意味だと思うんですよ。

かといって子供たち世帯とは別居という老人も多いでしょうし、鍵の管理を…と言ってもできるわけないし。

あとは自分自身の運転に対する判断力っていうのも鈍くなってきている気がして怖くなってきてます。

特にバイクに乗るのは年単位でも限られた回数なので。

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バイクを不本意に失う時が降りるとき

最近のバイクは非常に高くなったので「そこまで出して乗りたいとは思わない」という経済的な事情があるのも確かですが、自分も歳をとってバイクや車への興味や憧れを抱くことが減ったのは大きいです。

それ以外にも仕事や天気、はたまた家族の行事などがあると、やはり乗る機会が少なくなりました。

もしもこの先自分が憧れや愛着を感じるバイクが現れて「バイクを乗り換えたい」と感じて手放すのであればまだしも、盗難、事故であっけなく失った時にはもういいかなという気がしてます。

それだけこのXJR1200というバイクには、自分がバイクに乗り始めた頃の憧れと思い入れが大きすぎる

そう考えると、自分の意思とは違いバイクを失うことがあれば、それはバイクを降りるタイミングなんだろうなと思うわけです。

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一生乗っていたいけどし、そばには置いておきたい

意外とバイクを失う時というのはあっけなく来るものだったりするものかもしれませんし、死ぬまで乗ってるかも知れません。

将来どんな形でバイクを降りる時が来るかも分かりませんが、こうして考えるとバイクの免許を取って25年「ライダーであり続けられた」と言うのはとても幸せなことだなと改めて思いました。

これからのずっと乗っていければいいなとも思うし、何か乗れない事情があったとしてもずっとそばに置いておきたい。

少しでも長くバイクライフを楽しめるように、くれぐれも安全には細心の注意を払って楽しみましょうね。

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プロフィール
この記事を書いた人
taro

気付けば40代中盤に差し掛かり、25年を越えたバイクライフや趣味の楽器やDIYに関した記事を投稿しています。
保有資格:原付 普通自動車 普通二輪 大型二輪 1級建築士 第2種電気工事士 1級建築/土木施工管理技士 2級FP 宅建士

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